「セナvsプロスト」を振り返る

いま30代後半~40代の人は80年代後半~90年代初め(?)のF1ブームをリアルタイムで経験した世代じゃなかろうか。あの頃は日本人初のフルタイムF1ドライバー(中島悟)の誕生や、ウィリアムズやマクラーレンに載ったホンダエンジンの快進撃など色々な出来事があり、人それぞれに思い出があるかと思う。

ただしF1ブームの中には嫌な出来事もあった。故アイルトン・セナとアラン・プロストの確執はその1つであり、個人的には一番嫌な出来事である。
今となっては、マスコミが「被害者のセナ」vs「意地悪なプロスト」という構図を作って煽っていたような気もするのだが・・・・・・結果として日本人の大半はセナ擁護派だったと思う。

セナに関する本(特に事故原因に関するもの)は色々とあるようだが、プロストに関する本を先月初めて見つけた。
セナvsプロスト(マルコム・フォーリー著、三栄書房)
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内容は著者がアラン・プロストに行ったインタビューの内容が主軸になっている。
しかし他のドライバーやレース関係者の証言も数多く用いられており、特にセナに関してはフィジカル面の面倒を見ていたジョセフ・レベラーの方がプロストより多くを語っているかもしれない。そのためプロストの証言や主張による一方的な内容にはならず、むしろ当時のF1界を客観的に見ているように感じられた。

感想、と言うよりも、セナとプロストの違いは
・プロストは高い能力を持っているが、根本的には普通の人間
・セナは人間を超越した存在

ではあるように思えた。
プロストは「死ぬためにレースをしているのではない」という(まっとうな)スタンスを持ち、「越えてはならない一線」を自分の中に設けている。
セナはレースに勝つことしか頭に無く、その「一線」を越えては超人的な走りを(時にはダーティな行為を)する。

セナがイモラで逝ってしまったのは、人間を超越した存在だから神に召されたのか?
それともプロストの引退時に和解して「普通の人間」になれけど「一線」の向こう側での成す術を失くしてしまったからだろうか?
この本を読んでいる途中と、読み終えた後で、そんなことを考えた。



セナvsプロスト—史上最速の”悪魔”は誰を愛したのか!? (SAN-EI MOOK)
三栄書房
マルコム・フォリー

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